2002年3月18日

インド・オープン(3/14-17)

【事前情報】


��月14日から,インドのニューデリーにあるデリーGCにおいて,アジアンPGAツアーの第7戦,インド・オープンが行われます。
先週のフィリピン・オープンでは10位タイという,今シーズン最高の順位になりました。(獲得賞金額ではシンガポール・マスターズの18位のほうが上ですが)
現在,アジアンPGAツアーの賞金ランキングでは25位につけています,

ミャンマー・オープン以降のスコアを見てみると,初日の平均スコアが71,2日目の平均スコアが70.25と,非常に安定しているのが分かります。予選通過の心配がなくなると,決勝ラウンドで優勝争いを,と期待してしまうのがファンとして正直な気持ち。「這えば立て,立てば歩めの親心」というところでしょうか?

ちなみに,3日目と最終日の平均スコアは。ともに72.5となっていて,これが初日,2日目と同じくらい,あるいはそれ以上のスコアが出せるようになれば,安定して上位に食い込み,優勝争いに絡んでくるようになるのでしょう。

今週もまた上位に食い込む活躍を見せてくれるものと,期待しています。

【第1日】


インド・オープンの初日はなんと81。148位というきびしいスタートとなりました。
シンガポール・マスターズ以降,4週連続で各国を転戦しているので,疲れが出たのでしょうか。明日の爆発に期待です。

【第2日】


二日目は72,イーブンパーということで,スコアを縮めることができなかったようです。トータル9オーバー,115位で決勝進出はできませんでした。週末はまたインドネシアでリフレッシュ&スイング調整でしょうか。

すし石垣のプロフィール・アジア版

アジアンPGAダビドフ・ツアーのサイトには,シード選手のプロフィールが掲載されています。すし石垣選手も,今シーズンはシード選手ということで,当然プロフィールが掲載されるはずでしたが,なかなか掲載されないままになっていました。

いつ掲載されるかなと,気になって時々チェックしていたのですが,今日ついに確認できました。

playersというリンクからたどって,選手のラストネームの頭文字をクリックすると探すことができます。石垣選手はもちろん,"I"をクリックすると,Sushi,Ishigakiの名前を見つけることができます。

すし石垣選手のプロフィール

アジアツアーのサイトはフレームを使っているので,このリンクをクリックすると,上部のフレームが表示されませんので,ご了解ください。

顔写真も載っていますが,斜にかまえて撮影されるあたり,「人と同じことはキライ」がモットーの石垣選手らしいですね。

プロフィールの下のほうには,これまでの戦績なども載っており,1999年の西野カップ優勝,師匠の浦東さんが主催しているミニツアー優勝の記録,PRGR が主催するミニツアー優勝の記録,さらには1997年の北フロリダ・ツアー優勝の記録まで,きちんと載っているのには驚きました。ここまで正確な記録は,これまで見たことがありません。管理人にも大変参考になる情報でした。

なによりも,すし石垣選手を紹介する文章がとってもすばらしいです。前回ご紹介した,シンガポールの新聞記事に近い内容になってると思いました。またまた,へたくそな翻訳を試みてみましたので,どうぞご覧下さい。

すし石垣は、日本ツアーでプレーした多くの経験を持っており、2001年,ダヴィドフ・ツアーにおける彼の最初のシーズンに,彼の資質を示しました。
彼は,ミャンマーおよび中国の両方で優勝争いに加わり、ダヴィドフ・ツアーのオーダー・オブ・メリットの34位の位置でその年を終了しました。
親しみがあり社交的な,この日本人ゴルファーは、今後ダヴィドフ・ツアーのタイトルを勝ち取り,目的を達することができるでしょう。
昨年の彼の最良の結果は、上海で行われたボルボ中国オープンにおける4位フィニッシュでしたが,そこで彼はトップと1打差で最終ラウンドを迎えました。
彼は日本のミニツアーの試合において,数多くの成功を経験しましたが、彼は今もなお,トップレベルでの躍進を狙っています。


というわけで,このプロフィール紹介文では,近い将来,必ずアジアツアーで優勝する選手であると紹介しているわけです。これは期待に応えないといけませんね,石垣さん。

2002年3月16日

新聞に載ったすしダンス

先週発売されたゴルフトゥデイの連載,「すし石垣のアジアン日記」には,シンガポール・マスターズ終了後,マレーシアに移動中の飛行機の中で,最終日の最終ホールで見せた「すしダンス」が,地元のスポーツ新聞にでかでかと写真入りで載っていた,と書いてありました。

マレーシア・オープンの電話インタビューでも同じことを話していたので,どんな新聞かなと興味を持っていたところ,先日,石垣選手のご両親からその新聞が送られてきました。
実は,昨年12月に,応援団長夫人が生涯初のホールインワンを記録したことを記念して,応援団員を中心としたメンバーでコンペを行うことになりました。そこで,各方面に賞品の提供をお願いする中で,石垣選手のご両親にも「なにか,使用済みのものでも結構ですので」とお願いしたところ,ネーム入りボール,プラネットゴルフのウエア,キャップを送ってくださったのです。



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ということで,これらは3月18日に行われるホールインワン記念コンペの賞品となりました。管理人は残念ながら仕事の都合でコンペに参加できないのですが,役得ということでウエアとキャップを頂戴しました。



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さて,そのコンペ賞品となったグッズが入った箱の中に,くだんの新聞も入っていたのです。



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��面(左側)の,優勝者アージュン・アトウォールの写真の下に,"SUSHI ON A ROLL"と題して,小さな写真が載っています。(赤線で囲んだ部分)さらに,裏側の2面(右側)を開くと,そこには5枚の写真入りで,すしダンスの様子がでかでかと掲載されていてビックリさせられます。
��面右下の"Sushi and his birdie jig"という,英文の記事を翻訳してみました。いかにも直訳という感じでわかりにくいところもありますが,ひらにご容赦ください。
Philip Allenというシンガポールの記者の方が書かれた記事ですが,すし石垣選手のことをよく観察していて,なおかつ非常に好意的な文章なので,とても嬉しく思いました。

スシと彼のバーディー・ジグ by フィリップ・アレン
昨日の夕方、すし石垣は、ラグナ・ナショナル・ゴルフ&カントリークラブの18番グリーン上で,ジグ(注:テンポの早いダンスの一種)を踊りました。

それは勝利のダンスではありませんでした。この日,首位から3打差でスタートしましたが,この日本人は4オーバー・パー74という成績でチャンスを失い,トータル3アンダー285として,カルテックス・シンガポール・マスターズを終了しました。
では,なぜダンスしたのか?
通訳によると、石垣(28才)は次のように答えました。「バーディーをとったからです。10年前に試合に出始めて以来、私はバーディーの後は常にダンスをします。」
この日のラウンド中、2番、13番,および15番のホール上でも,彼は(ダンスの)手並みを見せることができました。
しかしその時の彼のダンスは,もっと控えめなものでした。
しかし最終ホールで、集中した群衆、特別観覧席,および接待用テントの前でバーディーが来た時、彼は躊躇することなく,腕を激しく上下させ、そして腰を揺らしました。

彼は、コース上で愉快に過ごすことが好きです。彼は人を楽しませるためにそこにいます。彼はまた、明らかにユーモアの感覚を持っています。
本名がサトシなのに、なぜ、自分をスシと呼ぶのか?このショーマンは言いました。「いけませんか?スシは日本の有名な食べ物です。どんな外国の選手でも,私の名前を覚えることができるように、私は名前をスシに変えたのです。」
彼は2年間のアジアツアーで,スシとして知られています。しかし、彼の誕生日である,つい先日の月曜日に,日本のツアーは、彼がその名前を(日本ツアーで)使用することを認めました。
彼にスシという名前を示唆したのは,彼の友達ジュン・オジマ(シンガポールを本拠とする日本のゴルファー)でした。今週のカールスバーグ・マレーシア・オープンのためにクアラルンプールへ飛ぶ前に、石垣がリラックスしてラウンドできるように,彼ら2人は,昨晩ビンタン島(インドネシア)に向かいました。
石垣は7年前にプロになりました。1999年には、釧路オープンを含む日本で5つのミニツアー競技を勝ち取りました。彼はまだ大きな進歩を獲得していません。
また彼は、今年いくつかのヨーロピアン・ツアーのイベントをプレーしますが、アジアと日本のツアーに集中するでしょう。

そして今週、彼はまた新たなバーディー・ダンスを見せるでしょう。「その時,私は腰をもっと激しく揺さぶります」、と彼は言いました。

フィリップ・アレンさんが予言されたように,すし石垣選手はこの記事の後のマレーシア・オープンでも好スコアを記録しましたので,きっと「すしダンス」も何回か披露したに違いありません。
さて,この記事の中で紹介されている,ジュン・オジマ氏ですが,JunOjimaの辛口ゴルフ紀行というサイトで,月1回のペースで記事を書いていらっしゃいます。

��月の辛口ゴルフ紀行には,すし石垣選手の名前も登場していて,インド・オープンには一緒に参戦されるそうです。